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昔の写真や、旅先で撮った写真を、恥ずかしながらご紹介しています。
素人が撮ったヘタな写真ですが、お時間のある方は、ぜひ コチラ もどうぞ。


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遠い、遠い、思い出の 1ページ   
2009/05/11 /01:45
canada

古いアルバムの、最後のページにある 1枚の写真。

S と B ――
バンクーバー近郊の水辺にて


最近、気になっている テレビ番組 がある。

番組サイトによると、 "この番組は、“ポストマン”と呼ばれる
配達人が、人々の "荷物" を、そこにこめられた "想い" と
ともに配達する人間ドキュメント。
"

要は、長年会いたかった ( 会えなかった ) "誰か" にずっと
渡せなかったモノを、依頼人に代わってポストマンが届けて
くれるというもの。

届けられる "モノ" は、プレゼントだったり、思い出の品だっ
たり、形のない依頼人自身の気持ちだったり ・・・ 。

実際に私が依頼することはないだろうけど、もし私が ・・・ と
考えた時、真っ先に頭に浮かぶ 2人の顔がある。

S と B ――
遠い昔、夏休みにカナダのバンクーバーでホームステイを
させてもらった時の、ホストペアレンツ。

当時学生だった私は、アルバイトをしていたものの、それは
すべて自分のお小遣いに消え、両親に学費まで出してもら
って不自由なく暮らしていた。

そんな時に学校で配られた、ホームステイの案内チラシ。

「行ってみたい。」

母に打ち明けた。

小さい時から英語を習っていたけど、海外に行くのは初めて。
クラスの誰も参加しない、知らない家族と4週間も暮らす旅に
なぜあんなに参加したかったのか、人見知りの自分にしては
今でも不思議でしょうがない。

父と相談してみる ――
そう母は言った。

参加費用、約 45万円。 他にもいろいろと必要になってくる。
当時の普通のサラリーマン家庭にとって、ポンッと用意できる
金額ではなかったと思う。

でも、両親は 「気をつけて行っといで。」 と言ってくれた。

やがて学校から、滞在先の詳細が書かれた用紙をもらった。
両親と小学生が 3人の家庭。
私は 1人でそのお宅にお邪魔するらしい。
どんな家庭なのだろう? ずっと 1人で大丈夫かな?

ドキドキしながら、その日を迎えた。

出発の日。
学校からは、引率の 2人の講師以外にも、たくさんの講師や
クラスメートが見送りに来てくれた。

まずは大阪からシアトルへ向かう。
初めての国際空港、初めての出国、初めての飛行機 ――
すべてが初めてで、かなり浮かれていた。

機内の座席に落ち着き、これまた初めての機内食をいただき
一緒に出発した仲間と、ドキドキするね、などと話していた時
引率の講師から呼ばれた。

「ちょっとね、大変なことになってるの。」

なんでも、私と Y さんの滞在先が、間違って案内されたらしく
私が渡された住所は Y さんの滞在先で、私がお世話になる
家族の詳細は Y さんが持っていて ・・・

飛行機の上でそんな事を言われても、困ってしまう。
4週間も滞在するのだ。
家族にも友達にも、バイト先にも連絡先を伝えていた。
もう、入れ替わったままでもよかった。

でも、本来の滞在先にお世話になることになってしまった。
しかもルームメイトまで紹介された。
違う学科の 1年後輩と 4週間、うまくやれるだろうか。。。
不安がドキドキを超え、気持ちが落ち込んだ。

機内では、先方の家族が書いたという手紙が渡された。
そこには本来の家族が、私に早く会いたいと書いてあった。

シアトルに着いたのは、確か夕方だったと思う。
そこで 1泊。
時差ボケと滅入った気分でやたら早くに目が覚めた。
やる事がないので窓から外を見ると、見たこともない外国の
風景とあまりにキレイな朝焼け ――

眺めている内に、きっと何とかなる ・・・ と諦めた。

翌朝は、バスでバンクーバーへ。
これから約 3週間通うことになるカレッジの教室で、1人ずつ
名前を呼ばれて滞在先の家族との初対面を果たした。

中国系で顔は全くアジア人なのに、英語しか話せない S。
イギリス人の B。
親子ほど年の離れた夫婦で、子供はいない。
何だか不思議な感じだった。

車の右側にある助手席に座り、道路の右側を走って家に帰る
と、 Duke ( 公爵 ) という大きくて真っ黒な犬がいた。
S はすぐに夕食の準備を始め、B がテラスに出ようと案内して
くれた。

S も B も英語しか話せないし、私もルームメイトも大した英語
力ではない。
最初は全く会話にならず、何度も聞き返した。

すると、 B は席を立ってどこかに行ってしまった。
「怒ったんかなぁ?」 「私ら、聞き返しすぎたかなぁ?」

コソコソと話をしていると、 B は紙と鉛筆を持って戻って来た。
「日本人は文法はよくできるけど、聞くことには慣れてないから
通じなかったら紙に書くようにと言われている。」
( なぜかここだけはよく聞き取れた。)

ナイス! B !

そう言ったものの、癖がありすぎて、字も読めなかった。

そんな感じで始まったホームステイも、日を追うごとに慣れて
コミュニケーションが取れるようになってきた。

S と B は、まだ新婚であること。
B には別れた家族が他にあって、まだ子供が小さい時に離れ
てしまったこと。
そして、時々その家族に会いに行っていること。

けっこう衝撃的だった。

さらに、 B はおじいさんの代でカナダに渡ったが、そのおじい
さんは、あのタイタニックに乗るはずだったんだと ――

おじいさんはチケットを予約したが、乗船直前に病気で予約を
キャンセルしたのだそう。
もしそのまま乗っていたら、 B は生まれていないかもしないし
私たちもホームステイなどできていなかっただろう。

後日知った話だけど、私とルームメイトが S と B に連れられ
そしてすべての参加者がカレッジを出た後も、Y さんのホスト
ペアレンツは迎えに現れなかったらしい。

彼女のステイ先には、他にも数人の外国人が滞在しており
ホストペアレンツは学生たちを家に残して旅行に行ってしまっ
ていたのだ。

その日は急遽ホテルに宿泊することになってしまった Y さん。
希望に胸を膨らませて参加した海外研修なのに、翌日ホスト
ペアレンツのいないステイ先に連れて行かれるという、最悪の
スタートを切ることになってしまった。

もしかすると、私がその目にあっていたのかも知れないのだ。
何となく、ものすごい大きな、運命みたいなものを感じた。

帰国後も、 S と B は私たちを本当の子供のように愛し、しょっ
ちゅう手紙を書いて送ってくれた。

私も一生懸命に辞書を引きながら、返事を書いた。

そのうち私は就職し、忙しくて英語の勉強も止めてしまった。
カナダの両親への手紙も、だんだん書かなくなっていった。

そして届いた手紙 ――

何度も手紙を書いているが、一向に返事がこない。
元気にしているのだろうか?
郵便事情が悪く、書いてくれているのに届かないのだとしたら
申し訳ないと思うが、こちらの手紙は届いているのだろうか?
もしかしたら、もう私たちのことなど忘れてしまったのかも知れ
ないし、返事を書きたくない理由があるのかも知れない。
もうすぐ引っ越す予定だから、この住所からの手紙はこれが
最後になると思う。
もしまだ手紙を書いてもらえるなら、返事をください。

驚いた。 ショックだった。
滞在中、日本からの郵便は切手が美しく、カナダの郵便屋が
切手を剥がして収集や売ったりするのに悪用し、手紙は捨て
られてしまうという事件が相次いで問題になっている、と B に
聞いてはいたが ・・・ 。 ( 正直、まさかと思っていた。)

一生懸命に書いた手紙は、一度も届いてなかったのだ。
でも、英語の勉強を止めてかなり経っていたので、直接電話
する勇気もなかった。。。

その後、何度か手紙を書いてみたものの、返事が届くことは
なく、やがて "宛先にそのような人は訪ねあたりません" と
ラベルの付いた封筒が戻ってきた。

引っ越してしまったのだ。

あれから何年経っただろうか。
今みたいにネットが身近にあれば、もっと簡単に連絡を取り
合えていただろうに、今となっては S と B がどこに住んでる
のかも分からない。
もっと言えば、あの時すでにけっこう年に見えた ( ゴメン!)
B は、今も健在なのだろうか ・・・ 心配。


この テレビ番組 を見る度に、私は 2人のことを思い出す。
機会があれば、伝えたい。
返事を書きたくない理由なんてどこにもない。
私はずっと手紙を書いていたのよ、と。





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こんな想い出が
胸キュウンだなぁ ・・・。
届かなかった手紙、受け取らなかった手紙。
それぞれの思い、それぞれの、でも共有する想い出。

カナダホームステイの時から、イギリス英語に
親しんでたんだろうね、ゴンちゃん。

私も、メルボルンのホストマザーの引越しで
あんなに色んなこと話して(むっちゃ片言で)大好きだったのに
もう、連絡できないよ ・・・。

素敵な写真から引き摺り上げる想い出 ・・・

私もそこにいたような、気持になる。
Posted by : やっこ + 2009.05.12 (15:34) + URLEDIT
やっこさん、胸キュウンな話でしょう・・・。
もしまだ S と B が元気だったら、私たちが初めて受け入れた生徒たち
だと言ってたので、きっと時々は思い出してくれてると思うのですが
何せ B は当時40代半ばを過ぎていたと思うので、今も元気なのかも
ものすごく心配です。

そうだったの、やっこさんにもそんなことが・・・。
何だか切なくなる。
でも、連絡は取れなくても、この地球のどこかで(っていうか、頭の中で
あの辺・・・とイメージ的に思ってるけど)暮らしていて、遠い思い出が
胸の中にちゃんと生きてる・・・それもいいのかな、とか思いません?

もちろんずっとやりとりとかして、仲良くしていたかったのだけど、もう
会わない方がいいのかも、とかって。 (何でかしら? 笑)
何か "初恋の人" にも似た感じ?
ただ、元気でいて欲しいですよね。 大好きな人だったらなおさらね。

ふふふ。イギリス英語に親しんでた・・・って、今思い出しても B の
英語は相当鈍ってて、聞き取りにかなり苦労したような、、、
もしや、スコットランド人だったか!?(笑)
Posted by : Gon + 2009.05.13 (01:01) + URLEDIT














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