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昔の写真や、旅先で撮った写真を、恥ずかしながらご紹介しています。
素人が撮ったヘタな写真ですが、お時間のある方は、ぜひ コチラ もどうぞ。


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あの日   
2009/01/17 /21:36
earthquake

14年前のあの日のことを、今でも鮮明に覚えています。

当時団地の 5階に住んでいた私は、4畳半ほどの狭い部屋で
天井まで届くほど背の高いクローゼットの横に布団を敷いて
寝ていました。

その朝、いきなりものすごい力で背中をグググッと押し上げら
れる感覚に目を覚ますと、めまいかと思うほどゆっくり大きな
揺れに力が入らず、起き上がることができませんでした。

次の瞬間、壁に立て掛けていた 2枚の額縁が足下めがけて
勢いよく落ち、ガラスが粉々に割れてしまいました。

破片が足下に散らばり、揺れが治まってからも身動きできず
にいると、ようやく母が様子を見に来てくれました。
「 生きてるか~? 」
何もなかったからこそ、笑って言える言葉です。


相当な揺れだったにも関わらず、外はものすごく静かで誰の
声も車の音もしませんでした。

もしかして周りのもの全部がなくなってるかも?
ものすごい不安になり、ようやく布団から抜け出しカーテンの
外を覗いてみました。

まだ薄暗い窓の外には、静寂。 いつもと変わらぬ風景。。。

まだもうちょっと寝れたのに ・・・ と居間に行くと、父がつけた
テレビの速報で、地震があったことを告げていました。

「 けっこう大きな地震やったなぁ~。」
当時は今みたいに細かい震度など出なかったため、何となく
大きな地震があった、ということだけしか分かりませんでした。

しかし、時間とともに徐々に被害状況が明らかになってくると
そんな呑気なことも言っていられなくなりました。
次々と信じられない光景がテレビに映され始めたのです。

earthquake
倒壊した国道

これは ・・・ 。

すでに働いていた私は、会社に行くべきかどうか迷いながらも
とりあえず電話を入れました。

一番会社に近い Kさんが、 「 僕が行かないとと思ってね。」
と出勤してくれていて、 「 どうせ仕事にならないし、来なくて
いいよ。」
と言ってくれたので、ニュースの続きに目を戻すと
そこには、火災で真っ赤に燃える町が写っていました。

何日も安否が分からなかった先輩、家を失ってしまった会社の
同僚、友達を訪ねて電車とバスを乗り継ぎ、まだ余震が残る
ガレキの中をひたすら歩いたこと、瓦の代わりに屋根にかけら
れたブルーシートの色 ――

幸い、私の知り合いにはあの地震で命を落とした人はいません
でしたが、 14年経った今でも鮮明に思い出すあの日の恐怖は
言葉では表せません。

もし住んでいたのが頑丈な団地じゃなかったら、建物が崩れて
しまったかも知れません。
もしクローゼットが低いタンスだったら、下敷きになっていたかも
知れません。

平和な毎日に、ついつい忘れてしまいそうになるあの背中への
突き上げは、一生忘れることのできない恐ろしい体験で、心に
深く刻み込まれています。

あの日から、すべてが変わりました。
もう一度身の回りの防災グッズを点検し、大切な家族とも避難
場所や連絡方法を確認しあうことも大切なことだと思います。
みなさんも ――


大震災の教訓。

写真でつづられた、地震の様子。
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あの日
私は前夜に、たまたま友人の友達仲間10数人が
大阪から高山に遊びに来ていて、朝方までトランプしたり、
王様じゃんけんしたりして遊んでて、雑魚寝して寝たんだぁ ・・・。

その早朝に、大きな揺れで皆が飛び起きて、
ニュースをつけたら、大阪の被害が映し出されてて、10数人の仲間は
顔色を変えて、スキーもせずに帰ってったんだった。

この日は、関西の方々、そうじゃなくても日本中の方々が
忘れられない日だよね ・・・。

あの、悲惨なことがあった神戸で、なぜか、人々は明るく、
笑顔で、励まし合って頑張っていた ・・・
救援に向かった同僚、誰もがそう言ってたよ。

人って、すごいよね。

ここで失われた全ての命(動物、人間すべて ・・・)が
安らかに眠られていますことを ・・・。
Posted by : やっこ + 2009.01.19 (05:26) + URLEDIT
やっこさん、そんな事があったのですね・・・。
あの日の揺れは、遠く信州の方まで届いたというから、それが兵庫で
起きた地震と知って、さぞビックリしたことでしょうね。

お友達、ちゃんと無事に帰れたのでしょうか?
あの頃は至る道路や線路が分断され、道も通行できない状況だった
ので、相当な苦労をして戻られたと思います。
その方たちの家や家族の方たちも無事だったらいいのですが。

あれから14年も経って、そろそろあの大変な地震を知らない子たちが
大きくなってきてるんですよね。
忘れたいけど、忘れてはいけない。 そう思います。
Posted by : Gon + 2009.01.24 (16:46) + URLEDIT
横浜出身なもので、似ている神戸の街は大好きなところです。
その大好きな街の様子が映し出されるテレビを
信じられない気持ちで食い入るように、ただただ見ているしかありませんでした。
何かせずにはいられなくて、でも働いてたし・・・で、
新聞の折込で見つけた物資援助のボランティアで
ありったけの眠っている食器類を送ったんですが、その縁で
今でもお付き合いしているご家族がいます。
当時小学一年生だった子が、もう成人。
あの頃の記憶は、ショックからなくしてしまっているらしいですが
元気に大学で建築を学んでいるというのがとても嬉しいです。
建築士と、もう一つの資格で食べていこうと私が決心したのは
あの日の出来事があったからなので・・・。
なので、毎年、わたしにとっても気持ちを改める日です。
Posted by : バニ母 + 2009.02.04 (22:20) + URLEDIT
バニ母さん、そうでしたか、そんな事が・・・。
あのような光景を見て、自分にいったい何ができるのか・・・と考えて
実際に行動に移せるって、素晴らしいことだと思います。

直後は鉄道も道路も分断されていたので、自転車やバイクで物資を
運んだり、徒歩で友達に会いに行ったり。
今考えたら、もう二度と嫌だと思う事なども、必死でやってましたが
自分が何をすればいいのか、ものすごく悩んだりもしていました。

私のところは震源地から少し離れてはいたのですが、それでも壁に
ヒビが入ったり、お風呂の湯沸かし器が壊れたり。
それらは修復が可能でしたが、傷ついたり失ったものが多すぎます。
バニ母さんが交流されている方も、相当な恐怖だったのでしょうね。
確かに地震の揺れは一瞬の出来事でしたが、普段生活している時に
感じる時間よりも、本当にものすごーく長く感じました。
私も今でも少しの揺れにかなり過敏に反応してしまうのですが
心に負った深い恐怖心というのは、一生消えないと思います。
どうか、その方の心が少しでも癒えますように。

もう一つの資格・・・何だろう?
いずれにしても、あの地震がバニ母さんの将来を決めたのですね。
当時私は携帯電話の営業を担当していたのですが、それまで高くて
あまり売れなかったモノが、地震をきっかけに緊急連絡用として
飛ぶように売れるようになりました。
今ではほとんどの人が持ってる携帯も、あの地震がきっかけで普及
したのですよね。
私たちにとって、きっと毎年この日がくると、当時の事を思い出さず
にはいられないでしょうね。
素敵なお話、ありがとうございました。
Posted by : Gon + 2009.02.08 (22:53) + URLEDIT














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